H-IIAロケット、初打上げから20年 その運用を支える「田代試験場」の歴史と未来 ~後編~

2021-11-04
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秋田県大館市、田代岳の山中にある三菱重工業株式会社(以下、三菱重工)の田代試験場。1976年の開設以来、ロケットエンジンの燃焼試験を1,000回以上も行い、現在運用中の「H-IIA」ロケットをはじめ、日本の基幹ロケットの開発と運用を支えてきました。

今年で開設から45年を迎え、いまなお、日々新たな歴史を刻んでいますが、老朽化という大きな問題にも直面しています。連載の後編では、田代試験場の歴史と将来についてみていきます。

田代試験場の空撮写真
田代試験場の空撮写真

田代試験場のなりたち

田代試験場は、三菱重工が保有する、液体ロケットエンジンの燃焼試験を行うための施設です。

広さは約1.176 km2で、東京ドーム約25個分、東京ディズニーランド約2個分に相当します。

田代岳の奥深くにひっそりとたたずみ、大館市内からは車で約1時間。その大部分は険しい山道で、路面には落石や凹凸も多くあり、そろりそろりとしか走れません。冬には周囲のすべてが雪に覆われ、また違った険しさをみせます。

この険しい地にロケットエンジンの燃焼試験場を設けることが決まったのは、1971年のことでした。この当時、三菱重工におけるロケットの研究-開発は長崎造船所が担っていましたが、事業拡大により旧-名古屋航空機製作所(現-名古屋航空宇宙システム製作所)に移管することを決定。ロケットエンジンの試験も長崎造船所で行っていましたが、騒音-公害への配慮や、より大型のロケットエンジン開発のため、これを機に新たな試験場を設けることになりました。

試験場の建設にあたっては、半径10km以内に人家がないことといった条件を定めました。そして、全国の候補地を検討した結果、住民の理解や交通の便、地形などの面から、この田代岳の山中を選びました。ロケットエンジンにとっても技術者にとっても過酷な場所ではありますが、ロケットエンジンという特殊な機械の試験をすることを考えると、試験場が造れるほぼ唯一の場所だったのです。

田代試験場は、国の基幹ロケットを維持、開発するうえで必要不可欠な技術基盤の試験場という位置付けにあり、技術者を鍛える訓練の場という意味合いもあります。

また、液体ロケットエンジンの燃焼試験は、種子島宇宙センター(鹿児島県)では第1段向けエンジンが、角田宇宙センター(宮城県)では第2段向けエンジンが可能ですが、これらとは別に両方のエンジン燃焼試験を行える試験場を持つことで、それぞれで並行して試験を進めることができるという利点もあります。たとえば、種子島宇宙センターはロケットの打上げ施設とエンジンの試験場が隣接しているため、打上げ時にエンジンの試験ができなくなります。しかし複数の試験場があれば、種子島で打上げを行う一方、田代試験場では次のロケットのための試験を行うといったことが可能になり、冗長性(予備)の確保や、開発-試験の効率化という点で、とても大きな意義があるのです。

1976年には、まず、第一試験場が完成。宇宙開発事業団(NASDA、現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA))と三菱重工が開発した「N-I」ロケットの第2段エンジン「LE-3」の燃焼試験を行いました。

1978年には、より大型のロケットエンジンの開発や試験に対応した第二試験場が完成。国産初の液体水素と液体酸素を推進剤に使う「LE-5」エンジンの燃焼試験で活躍しました。このLE-5を2段目に積んだ「H-I」ロケットは、1986年から1992年まで合計9機を打上げ、すべて成功を収めました。

現在、第一試験場はほぼ役目を終えて休止状態にありますが、第二試験場はその後も改修や試験施設の新設を重ね、その大部分がいまなお稼働を続けています。

田代試験場へ続く道路。落石や凹凸が多くある険しい道を、職員はもちろん、エンジンを積んだトレーラ、燃料を積んだタンクローリ-、各種試験装置などもこの道を登っていきます。 © 渡部 韻
田代試験場へ続く道路。落石や凹凸が多くある険しい道を、職員はもちろん、エンジンを積んだトレーラ、燃料を積んだタンクローリ-、各種試験装置などもこの道を登っていきます。 © 渡部 韻
冬の田代試験場。場内の施設は全て雪に覆われます。
冬の田代試験場。場内の施設は全て雪に覆われます。

田代試験場のいま

現在の第二試験場には、ロケットエンジンの試験施設である「H-IIステージ燃焼試験スタンド」、「常圧スタンド」、「システムスタンド」のほか、試験時の指令などを出す「コントロールセンター」といった施設が立ち並んでいます。

H-IIステージ燃焼試験スタンドは、ビルのような大きな施設で、試験場の中でもひときわ目立ちます。同スタンドは、1984年度から開発が始まった純国産の大型ロケット「H-II」の開発のために造ったもので、タンクやポンプ、電子機器、そしてエンジンを入れ、機体(推進系)とエンジンを組み合わせたシステムとしての試験を行うことができます。言うなれば建物全体をロケットに見立てて、実際の打上げ時とほぼ同じ条件、環境を作り出し、試験することができるのです。

常圧スタンドは1978年に竣工し、LE-5に始まり、H-IIの第2段エンジン「LE-5A」の領収燃焼試験(試運転)などに使ってきました。システムスタンドは、LE-7エンジンの開発のために、1985年に造った施設です。

H-IIの開発が終わったあと、1994年度からは、H-IIの改良型で、現在も活躍するH-IIAの開発が始まりました。その第1段メインエンジン「LE-7A」の開発でも、H-IIステージ燃焼試験スタンドを改修したうえで燃焼試験に使用。システムスタンドや常圧スタンドも改修し、現在も領収燃焼試験で使い続けています。今回、LE-7Aの領収燃焼試験を行ったのも、このシステムスタンドでした。

H-IIステージ燃焼試験スタンドはまた、2003年度から開発が始まった「H-IIB」ロケットの開発でも改修したうえで使用。H-IIBは、H-IIAのLE-7Aエンジンを2基束ねて噴射することで打上げ能力を高めたロケットで、同スタンドはその強力な推力(パワー)の試験にも耐えることができました。

さらに、2014年度から開発が始まった次世代の大型ロケット「H3」の開発でも、H-IIステージ燃焼試験スタンドは活躍しました。H3は多種多様な衛星の打上げに対応するため、第1段メインエンジン「LE-9」を2基と3基で付け替えることができるようになっており、3基のエンジンを同時に噴射する際のパワーはH-IIBに比べて約2倍にもなります。もともとH-IIの開発試験のために建てた施設でしたが、補強をすることでその強力な推力にも無事に耐えることができました。また同スタンドは、H3の第2段エンジン「LE-5B-3」の燃焼試験でも活躍し、H3の開発にとって大きな役割を果たしました。

2021年8月までの時点で、田代試験場ではエンジンのみの燃焼試験が933回、ステージ燃焼試験スタンドを使ったステージ試験が159回の、計1,092回もの燃焼試験を行っています。

H-IIステージ燃焼試験スタンドは、H3に関連した燃焼試験が終了したことで休止状態にあります。

一方、システムスタンドと常圧スタンドはいまもH-IIAのエンジンの領収燃焼試験のために稼働しています。両スタンドは今後、H3のエンジンが量産体制に入ってからも、改修のうえ、領収燃焼試験に使用することを見込んでいます。

【動画】H-IIステージ燃焼試験スタンドにおいて実施されたH3ロケット第1段メインエンジン「LE-9」(2基形態)の燃焼試験の様子 © JAXA

進む老朽化、日本のロケットを維持・進化させるために

長く、連綿と続く歴史を持つ田代試験場ですが、その一方で、老朽化が深刻なものとなっています。

試験場にある施設の多くが、完成から30~40年経過しています。たとえばH-IIステージ燃焼試験スタンドは築35年、システムスタンドは築36年で、コントロールセンターに至っては、竣工は1978年、すなわち築43年も経過しているのです。

改修、修繕を行っているとはいえ、老朽化が進んでいることは誰の目から見ても明らかです。また外観だけでなく、施設内で使っているポンプなども代替品や交換部品がない状況で、田代試験場の技術者が職人技でメンテナンスや修理を続けています。コントロールセンターの機材も、ブラウン管のモニターやペンレコーダーなどがいまだに現役です。

最先端技術の結晶とも称されるロケットですが、その開発や試験を支えているのは数十年前の施設、設備というのが実情なのです。

このため、老朽化にともなうトラブルも年々増加しており、試験日程が遅れたり、試験ができなくなるような事態も起きたりなど、深刻な状況にあります。国やJAXAも老朽化の状況を喫緊の課題として理解を示しているものの、限りある予算の都合などで設備の更新が十分には進んでいません。それは新型ロケットであるH3の開発においても施設の新設ができず、H-IIステージ燃焼試験スタンドなど数十年前に建てた施設を改修、修繕したうえで使用せざるを得なかったことにも表れています。

ロケットというと、宇宙へ向けて駆け上がっていく姿ばかりが注目されがちです。ですが、その開発や打上げを支え、成功を実現しているのは、事前の試験であるということを忘れてはなりません。技術や製品を開発し、安定した品質で量産し続けるうえで試験はなくてはならないものであり、たとえば電気や水道が流れ、鉄道や自動車が走り、パソコンやスマートフォンが動くのも、すべて開発や量産の際に試験が行われているからなのです。ロケットエンジンといえども、その基本が変わることはありません。

しかし、田代試験場の老朽化がこのまま進めば、今後新しいロケットの開発ができなくなるばかりか、いまあるロケットを造り続けることもままならなくなるかもしれません。いつか日本からロケットを打上げられなくなる危険性すらあります。それだけ老朽化問題は深刻かつ喫緊の課題となっており、現場の技術者をはじめ、関係者はみな危機感を募らせています。

解決のためには、施設を建て替えたり、あるいは別の場所に新しく試験場を造ったりといった、抜本的な設備更新を行う必要があります。ただ、ロケットの試験場のような大規模な施設に大きく手を入れたり、新しく建て替えたりするのは、一企業だけでは難しく、国や自治体などの協力が不可欠です。

H-IIAロケットの20年、そして田代試験場の45年にわたる歴史は、ひとまずH3ロケットへと受け継がれました。その歴史を、さらに次の世代のロケットや技術者につなげ、日本がこれからも宇宙輸送の自律性を保ち続けるために、また他国のロケットとビジネスの世界で戦っていくために、そして宇宙を通じて私たちの未来をより確かなものにするために、この問題の解決に向けて早急に取り組んでいく必要があります。

現在のH-IIステージ燃焼試験スタンド。築35年が経ちますが、改修、修繕によって、つい最近までH3ロケットの開発で活躍しました。しかし、老朽化が進んでおり、抜本的な対策が求められています © 渡部 韻
現在のH-IIステージ燃焼試験スタンド。築35年が経ちますが、改修、修繕によって、つい最近までH3ロケットの開発で活躍しました。しかし、老朽化が進んでおり、抜本的な対策が求められています © 渡部 韻
現在のH-IIステージ燃焼試験スタンド。築35年が経ちますが、改修、修繕によって、つい最近までH3ロケットの開発で活躍しました。しかし、老朽化が進んでおり、抜本的な対策が求められています © 渡部 韻
現在のH-IIステージ燃焼試験スタンド。築35年が経ちますが、改修、修繕によって、つい最近までH3ロケットの開発で活躍しました。しかし、老朽化が進んでおり、抜本的な対策が求められています © 渡部 韻

※取材は新型コロナ感染症に十分配慮して行いました

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鳥嶋 真也

宇宙開発評論家、宇宙開発史家。宇宙作家クラブ会員。宇宙開発や天文学における最新ニュースから歴史まで、宇宙にまつわる様々な物事を対象に、取材や研究、記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。

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