操業108年、1,200隻を超える船舶を生み出した三菱重工下関造船所がつくる海上の未来【前編】 ~下関造船所の歩み~

2022-04-28
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後編はこちら

2022年3月3日、三菱重工下関造船所で、瀬戸内海最大、国内初のLNG燃料フェリーの命名・進水式が執り行われました。

船の建造においてもっとも重要な工程といわれる進水式。まだ空っぽの船が初めて海に出る瞬間です。

新型コロナの影響もあり、地元住民の観覧も最小限に、ブラスバンドの生演奏も音源への変更となりましたが、晴天の下、大型フェリーが静かに海に滑り出す姿は実に壮大です!

今回、進水式で命を吹き込まれた「さんふらわあ くれない」は、ニュースでも目にすることが増えた脱炭素化(CO2削減)、海上へのモーダルシフト(輸送手段切替え)、さらに顧客の志向の変化に合わせた豪華な船旅、などのニーズに応える新たな一歩となる船。

「敷地の狭さ」という制限のある環境の中で、100年以上に亘り様々なチャレンジを続けてきた、下関造船所の誇る高い技術と経験の蓄積から生み出されています。

【動画】日本初のLNG燃料フェリー「さんふらわあ くれない」命名・進水式の様子 ©商船三井

常に生き残りをかけて新たな技術に挑戦、前進してきた下関造船所

明治から大正にかけて漁業・交通の要衝として栄えていた関門海峡。

潮流も速く幅も狭いことから船の事故が多く、船の修繕ができる場所が必要となり、1914年(大正3年)に下関造船所が開設されました。

主に漁船の修繕を行いながら新造船にも着手し、数百トンの小型漁船を造る小さなドックから少しずつ拡大。100年以上を経た現在では、大型フェリーや巡視船など多様な船を建造しています。

三菱重工 下関造船所
三菱重工 下関造船所

下関造船所の敷地は造船所としてはさほど広くなく、説明を受けながらでも1時間かからずに回れるほど。様々な作業場がコンパクトかつ効率的に配置されているのがとても印象的です。建造できる船のサイズは全長約200mまでの中小型船まで。その制限の中で何度も窮地に立たされながらも、常に「自分たちにできること」に焦点を合わせ乗り越えてきたことで、下関造船所独自の技術が磨かれていきます。その全てのベースは、開設初期の頃に請け負った大量の漁船の建造にあるといわれています。

建造技術の蓄積:漁師の命を守る漁船造り

1923年(大正12年)に建造した漁業監視船「白鳳丸(オットセイ保護のための取締船)」などに搭載したディーゼル機関や、建造技術の高さが評判となり、民間から漁船の建造依頼が殺到します。冷凍技術や魚群探知機もない時代、漁業の要はスピード。漁は命がけでした。漁師たちのニーズに応えつつ、少しでも安全に漁ができるよう、バランスや安定性を高める技術を追求したことで、「揺れない」船の建造ノウハウが大量に蓄積されます。それが、その後フェリーや特殊船を手掛ける基盤になり、下関造船所の強みにもなっていきます。

大正時代、当然今のような機械はなく全てが手作業。熱く焼いたリベットを船の上に投げて渡すなど、今では考えられないような職人技が日常的に行われていました。
大正時代、当然今のような機械はなく全てが手作業。熱く焼いたリベットを船の上に投げて渡すなど、今では考えられないような職人技が日常的に行われていました。

船舶大型化の波による転機:「特殊船の下関造船所」へ

戦後、造船への規制範囲が変わり、貨物船や海外に向けた船など大型船の建造が盛んになる一方、中小型船を手掛ける造船所は、しのぎを削ることになります。下関造船所も例外ではなく、厳しい状況に立たされます。そこで、競合が容易に手を出せない「特殊船」「高速船」の開発・建造に着手します。ニッチではあるものの、前例のない新技術が求められ、常に挑戦を強いられる分野です。例えば特殊船では、海洋・海底の研究や資源調査などに使われる船が多く、海の上で精密機器を使うなど特殊な環境が必要とされ、「エンジンの音や泡を出さずに、速度を出す」など、相反する機能やその当時の常識を越える性能が求められます。そういった要求を、時には根気強くクリアしていった結果、【国内初】の機能や性能を持つ船を次々と生み出し、「特殊船の下関造船所」の異名を取るまでになります。

この過程が、下関造船所の得意とする、先を見越した技術開発の能力と特殊な機器を搭載するための高い艤装(船の内装)技術を築きます。同時期、明石海峡と鳴門海峡を海上交通で繋げる計画に下関造船所の提案が採用され、国内初のカーフェリー「若潮丸」の建造も手掛けています。

造船業界の低迷期を乗り越え、大型フェリーのトップシェアを誇る造船所に

1973年(昭和48年)からの低成長期に続いて、1985年(昭和60年)のプラザ合意による円高で輸出船の製造が困難になり、下関造船所は「造れる船がない」という状況が続きます。操業108年の歴史の中で一番悩んだ、といわれる苦しい時期を支えたのは船の修繕でした。修繕によってこれまでに築いてきた建造技術を保ち、メンテナンス等で新たな機能を付加することで技術の進化を続けます。また、国の海洋研究や世の中の動向から「今後どのような船や技術が求められていくか」に関する研究も常に行っていました。

高い艤装能力を必要とする大型フェリーへのシフト

その頃、日本の車社会化が本格化し、渋滞緩和などの面から海上交通として「フェリー」の大型化と高速化が求められる時代に突入。フェリー会社も、顧客の志向の変化に合わせ、ホテルのように過ごせる「豪華フェリー」というコンセプトを打ち出します。フェリーは貨物船などのマーケット船と違い、艤装密度の高い船。下関造船所は特殊船建造で培った艤装能力を生かせる、大型フェリーの建造に乗り出します。艤装とは、家でいえば内装にあたる作業。ただし内装といっても、エンジン・配線・配管・様々な機器等の設置からインテリアまで内面構造の全てが含まれています。また、船という特殊な形状(船体の高さや間口など)から、綿密な資材搬入スケジュールも必要となり、何よりも経験値がものをいう技術です。

全長195mの新造船大型カーフェリー
全長195mの新造船大型カーフェリー

困難を乗り越えて大型フェリー建造に本格的に参入

1988年(昭和63年)、下関造船所初の大型カーフェリー「ばるな」を建造しますが、試運転で振動騒音などのトラブルが発生。しかし、諦めることなく2年に亘り根気よく補修を続けることで、全ての問題を解決し、最終的に発注者への引き渡しが行われます。ここで困難を乗り越えた下関造船所は、本格的に大型カーフェリー建造に力を入れる方向に舵を切ります。国内の船舶需要が回復し、多くの造船所が貨物船などのマーケット船に戻る中、情勢に左右されない道として独自の路線を歩みはじめます。「フェリー一流化プロジェクト」を打ち出し、静音性はもちろん、高速化・大型化に合わせた新しい船形、高い艤装技術を活かした内装の充実を図り、高性能な大型カーフェリーの開発を目指した結果、国内シェア約70%を占めるまでに成長。大型カーフェリーの建造は、平成に入ってからも下関造船所の主力となり経営を支えていきました。

新たな技術の開発や、新しい試みへの提案は、多くの経験や日々の研究の積み重ねが可能にするもので、決して一朝一夕にはできません。どんな状況下でも、受け継いできた技術の進化に力を注ぎ、新たな分野に挑戦し続けたことが、国内初のLNG燃料フェリーの建造に繋がっていったのです。

下関造船所の歴史や建造した船の模型、豪華フェリーのVR体験などもできる史料館。
下関造船所の歴史や建造した船の模型、豪華フェリーのVR体験などもできる史料館。
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木本陽子

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